僕の母は、やさしい人でした。
思い出す限りでも、ほぼ叱られた記憶がありません。
何かを押しつけるようなこともなく、子どもの意志を尊重してくれる人でした。
また何でも見守ってくれたように思います。

こんな思い出があります。

僕が5歳の時、それまで住んでいた家より広くて、庭もある立派な家に引っ越しました。(借家です)
とは言え、すごく古い日本家屋で、台所は土間で、かまどが残っていた気がします。玄関を上がると2畳ほどの部屋があるのも時代劇で観たことがある造りでした。もちろんお風呂は五右衛門風呂。
そしてトイレが壁も床も板張りで、便器となるものはなく、床に長方形の切り込みがある、これまた時代劇で観たことがある厠(かわや)でした。なのでトイレとは言えないですね。ここでは便所と言っておきます。

その古いつくりの便所は暗く、幼い私にはとても怖くて、小はなんとか大丈夫なのですが、大のとき、その切り込みの穴をまたぐことができませんでした。
穴の中から何かがでてきそうな気がしてならなかったのです。

そのことを知った母は、明るい昼間に庭に新聞紙を広げ、そこで大をさせてくれたのです。
天気のいい昼間、小さい僕はお外でご機嫌にうんちしてました(笑)

僕がしている間、母は少し離れたところで終わるのを黙って待っていてくれました。
僕に「終わった?」とだけ声をかけ、その新聞紙を持って片付けてくれてました。

今思うととても奇異な情景ですが、幼い僕にそんなことをしてくれた母のやさしさを感じます。

僕は自分で言うのもなんですが、手がかかる子ではありませんでした。家に帰るとその日にあったことを母になんでも話していたのを思い出します。

手がかからない子ではありましたが、意外と頑固で洋服とか遊びとかの好きなものが決まっていて、母が買ってきた洋服を一応素直に受け取り、文句などは言ったりしないのですが、気に入らないものだと顔は渋い顔をしていたみたいです。それに、しばらくすると好きなものが変わるので、高校生になったころ、母は初めて僕に「あんたの好きなものはよくわからん」とそれまで思っていたことを打ち明けてくれました。
だから割と小さいときから、何か買ってくれる時は、僕に好きなものを選ばせてくれていました。
でも手がかからない子でしたから、わがままを言ってなんでもねだることはなく、あまり高くなさそうなものを選んでいました。
でも実際はそのとなりのとなりの少し高いもののほうに目がくぎづけになっているのを時々、母が少し察して、その高いほうを指して、「こっちを買ってやろうか」と言ってくれたりするのでした。
そんな時にすごくうれしかったのを覚えています。

幼稚園生ぐらいのころ住んでいた鹿児島は初夏になると、六月堂(ろっがっどう)と言ってあちこちの神社でお祭りがありました。
あるとき市内の少し大きな神社(護国神社だったと思う)のろっがっどうに行ったときの植木市でうさぎが売っていて、そのときの僕は、やっぱり目だけはきらきらさせてたのでしょうね。母が「帰りにうさぎ買ってやろうか」と言ってくれたのです。
すごくうれしくて、わーいわーいとワクワクした気持ちになったのを覚えています。
ところが、
いろんな出店を見て回って、家路につき、バスに乗ったあと、植木市を通り過ぎるのを窓から見ていた時にうさぎを買ってもらってないことにはたと気が付きました。
母もすっかり忘れていたようで、すごく意気消沈して悲しい気持ちで帰りました。
「またいつか買ってあげるから」と言われましたが、その機会は巡ってきませんでした。

あー、うさぎー(涙)
欲しかったよー。

後半へつづく