父が僕にくれたもの

投稿者: | 2018年11月11日

父は運動が苦手な人だった。
だから子どもの頃は、一緒に身体を使った遊びをしたことはなかった。
小2の時、父がカブの後ろに僕を乗せて、海水浴に連れて行ってくれたことがあった。
僕は浮き輪に乗って、プカプカ、チャプチャプと遊んでいたけど、父は海には一切入らなかった。
一緒に泳いでくれたりとか波打ち際で一緒に走り回るとかそういうことはなく、ただ近くで見守るだけだったのを覚えている。

父は手先の器用な人だった。
小4の頃、知り合いの竹林で青竹を切ってきて、竹細工でハンドルを回すとカタカタとなる機関銃のおもちゃを作ってくれた。全部竹で出来ていた。

父はいつもどこかに連れて行ってくれた。
母も出かけるのが好きだった。
母がお弁当を作ってくれて、家族で行楽地へよく出かけた。

父は乗り物ファンだった。ゼロ戦、自衛艦、SLなど。
僕は汽車を見るのが好きだった。
鹿児島に住んでいたころ、父が鹿児島駅のそばの線路をまたぐ歩道橋の所に連れて行ってくれた。
そこからは、操車場のたくさんの汽車を見ることができた。
僕は歩道橋の柵にしがみついて、ずっと見ていた。

僕はスポーツはさほど得意じゃない。
運動神経はいいとは言えない。小学校の運動会の徒競争はいつもビリかブービー。
子どもの時に身体を動かして遊ぶようなことがなかったからだろうと思う。
下手でもテニスはやってたから運動音痴というほどじゃないのかも知れないけれど、
泳ぎは全くできない。

僕はなにかものを作るのが好きだ。
小さい頃からプラモデルを作るのが好きだった。
近頃は、店の棚などは自分で作る。
大工仕事は結構好きだ。
今の家は妻と二人でリフォームした。

僕は妻と一緒にどこかに行くのが好きだ。
妻が行ったことのない所に連れて行ってあげたいといつも思っている。
僕が行きたいところも多いけど、妻があそこに行きたいという所には喜んで連れて行ってあげる。
妻はお弁当を持ってピクニックに行きたがる。
僕もお弁当を持ってどこかに行くのは大好きだ。

僕は今でも乗り物を見るのが大好きだ。
大人になってからは空港のそばに行って、離着陸する飛行機を見ていた。
F1中継を、地上波の間はずっとみていた。
今は海の近くに住んでいるので、船が行き交うのを見るのが楽しみになっている。

こうしてみると父から影響を受けたことばかりなのかもしれない。
でもそのことは嫌じゃない。
むしろ何かそのことで嬉しくなることの方が多い。
これは父が僕にくれたものだと思っている。
今ではそれが僕らしさを作っているように思う。

今では、子どものときにみた父の年齢をとっくに追い越しているけど、
ときどき、こうして子ども時代を思い出す。

淡い光の中にある
しあわせの思い出。