20年ぐらい前に、全国的な焼酎ブームが来た。
そのころに「焼酎ブーム」というブログを書いたが、一部アーカイブして書き直してみる。
そのブームは昭和50年ごろのブームから数えて、おそらく3度目ぐらいのブームの頃で、「黒霧島」が大人気となった。
今はウィスキーが復権して、ブームではなくなっているが、本格焼酎はすでに南九州だけのものではなく、全国に一定のファンがいるようになった。
焼酎は、甲類と乙類があり、ブームの代表格となった芋焼酎は乙類なのであるが、甲と乙という言い方では乙が劣っているようなイメージがあるということから、いつの頃からか本格焼酎というようになったのだそうである。
甲類は、以前から流行りの酎ハイのベースになる焼酎のことで、原料の風味がほとんど抑えられていて、あとから加えるレモンやライム、その他のフルーツのジュースで味を楽しむ。ジンやウォッカがそうであるようにカクテルと同じタイプのお酒の味わい方なのである。
僕はどちらも好きなのであるが、どうしても本格焼酎などで銘柄を楽しむお酒好きの人のほうが、酒好きとしては、硬派でランクが上のような扱いを受けているような気がしてならない。
どうも甘いお酒は軟派で、銘柄にこだわらないような飲み方が通ではなく、酒好きはやはり銘柄を楽しむほうが粋であるという感じである。
最近は雑誌などで本格焼酎の特集記事がよく登場する。
そうすると、今では焼酎バーが流行っていて、洋酒のバーのようにたくさんの銘柄をおいてあり、すっかり高価な飲み物に変わってきた。
話は、少々変わるが、うちでは紅茶をよく飲む。
ミルクティを午後の休憩時間に飲むのだが、フレーバリーティーを色々買ってきて、味を楽しんでいる。
しかし、紅茶もダージリン、アッサムなどに代表される銘柄がたくさんある。
またダージリンひとつのなかでも、産地や取れた畑、収穫時期などでその銘柄もさまざまである。(高価な銘柄の隣の畑でとれたものというものなどがあるのだ)
でも、ぼくは値段はリーズナブルだが、イングリッシュキャラメルやバニラ、ラムレーズン、チョコレートなどといった甘い香りのするフレーバリーティーが好きなのである。
ここでもなんとくなく、100g2500円ぐらいするダージリンなどを楽しむほうが本当の紅茶好きなのだと言われそうでならない。
焼酎の話に戻る。
僕の父は、何十年も「さつま白波」で晩酌をしていた。
父は宮崎出身だが、本格焼酎と言われる宮崎の焼酎は昔(昭和30年~40年代頃)は県外ではまったく売っておらず、県外では「さつま白波」だけが買えたそうで、転勤族だった父はずっとそれを愛飲していた。
本当なら宮崎の「霧島」が飲みたかったはずだが、「白波」の味になじんでしまったらしく、晩年宮崎に戻ってからもしばらく「白波」を飲み続けていた。
そんな父だったが、ときどき、いただき物で、高い日本酒の地酒や鹿児島の「魔王」、壱岐の麦焼酎なども飲んでいて、色々と味には詳しくていろいろと教えてくれるほど詳しかったが、やはり「さつま白波」がホームグラウンドだった。
今でも私は、私の身の周りでは自分の父が一番の焼酎好きだと思う。
父は、1週間に一升瓶1本というペースを崩さなかった。
一日に2合弱。いつものグラスで3~4杯のお湯割り。
酒の肴は、少しの刺身があればいい。
魚は安いアジで構わない。いつも同じ魚でも全く構わない。刺身がなければ豆腐でいい。
宮崎の田舎で育った父は、贅沢を望まない質素を好む人だった。
昔の人に多いが、味噌や醤油が好きで、スパゲティにも醤油をかけるし、締めのご飯は、おかずがなければ味噌でいいと言って、味噌をそのままつけるような人だった。
父は変なこだわりがあった。
給料日前まできちんとお金を残して、5本の一升瓶を買う。それを週に1本のペースで飲み、残る1本は誰かが家に来た時に飲む分としてとっておくという几帳面さだった。
そして、少し残るときはちょっと贅沢をすると言って、月に一度程度少し余計に飲むのだった。
そう話すのが嬉しそうだったの覚えている。
給料日後に買うと全部飲んでしまったら、また買ってしまって、無駄遣いをしてしまうからと言っていた。
僕が大学生になって、お酒が飲めるようになった時、「1本分けてやるぞ」と言われ、何度かもらったが、当時の僕に「さつま白波」はハードボイルド過ぎて、父のようなようなペースで減ることはなかった。
外で飲むともったいないとよく言っていた。
帰れば自分の焼酎があるからと。
職場の宴会は一次会だけで帰り、帰ってから自分の好きな焼酎を1、2杯飲むことを楽しみにしていた。
僕が大人になってから、一緒に外で食事するときも、お酒を一緒に飲んでも、家に帰ると、いつも家で飲みなおしたものだった。
お酒のみの話題になったとき、そんな父の飲み方を私はよく自慢した。
昔は南九州の人はだいたい父のような人が多かったが、なにより、父のお酒とのつきあいかたが好きだった。
そんな父の思い出の頃の年齢を、僕はそろそろ追い越そうとしている。
僕はいい大人になっているのだろうか。