僕はしゃべりすぎる。
「すぎる」ということは問題があるということ。
人はことばで思考するが、
わくわくしたり、不愉快だったり
喜んだり、悲しんだりするときは
始めは脳にはことばはない。あとからことばで考え始める。
人とのコミュニケーションは、ことばでするものと思いがちだが
ことばが先走ると、自分の思考だけに偏るということに気づく必要がある。
コミュニケーション(communication)の語源は
共有物(common)と言われている。
自分とそのほかの人との間に、
共有物を作ってはじめてコミュニケーションと言える。
そのためにはまず相手の中にあるもののなかから
共有できるものを探すことが必要である。
これを一方的に言葉だけを発していると
それは自分の思考の世界の中だけにいることになり、
情報の共有はそこにない。
じゃあどうすればいいか。
相手の想いや考えを“感じる”ことをすることが必要。
そのために使うのは、ことばではなく「直観」である。
「直観」とは「本質を見抜く」こと。
もうひとつ「直感」ということばがあり、こちらは瞬間的に感じとる力である。
感じとることは同じだが、情報の共有を図るために必要なのは
本質を見抜くための直観のほうである。
説明が長くなったが、
僕はしゃべりすぎるために、
つい自分の意見や思ったことを先走って話してしまう。
結果的に、相手の想いを置き去りにして
コミュニケーションに必要な共有がない状態をつくりだす。
するとどうなるか。
相手はただ不愉快になるだけとなる。
そして、自分のほうも
ことばを垂れ流しただけでそこに何も生まれず、
相手の不愉快さを受け取り、
すでに遅しという、事の顛末を知るのである。
後悔先に立たず。
昨夜、それが起きた。
今はただただ反省している。
僕がすべきだったのは、
まず相手の話を十分に聞いて、
話しの中から相手の想いを感じ取り、理解することだった。
理解するということで「共有」が生まれる。
そして、相手がアドバイスを望むようであれば、
そこではじめて、自分の考えを伝える順番がやってくる。
すべて後の祭り。
繰り返さないように注意しなければいけない。
しゃべろうとする自分の口を抑えることだ。
これは「Ⅵの恋人」というカード
3人のコミュニケーションを描いている。
その頭上に天使がいるが、これが直観の象徴である。
コミュニケーションには直観が必要だということを
タロットは教えている。
そして、これは「ⅩⅠの力」というカード
未来のヴィジョンを見ることができる人は
欲求を象徴するライオンの口を押えている。
ことばをコントロールすることが必要なことを
このカードが教えてくれる。
このように、タロットは様々な智慧を伝えている。