今日は、僕が子どものころから好きな「幸せの王子」の物語のお話です。
「幸せの王子」は、オスカー・ワイルドが子ども向けに書いた短編小説。
他の邦題では、「幸福の王子」、「幸福な王子」とある。
僕の中では、「幸せの王子」がしっくりくる。
小学生の時に読んだ
この愛と哀しみの物語がなぜか大好きで時々思い出すのです。
生前、とても幸せに過ごし、「幸せの王子」と呼ばれていて、
死後、王子は銅像となり、市中が見渡せる高いところに掲げられてみると
自分の街には不幸な人がたくさんいることに気づく。
そこに仲間より少し遅れて、南のエジプトへ渡ろうとしているツバメがやってきて、
王子は、その不幸な人たちに、自分の剣のサファイヤと目のルビー、身体を覆っていた金を
ツバメに届けてもらうという物語。
童話として書かれ、
子どもだった僕もすんなりと読めた小説だったけど
大人になった今、改めて思い出し、
サイトに公開されている翻訳を読んでみると、
人間のこころの大切にすべきことが
短い物語の中にギュッとつまっていることに気づいた。
http://www.hyuki.com/trans/prince.html
銅像と言いつつも、この銅像には鉛の心臓が入っているとされていて
魂が込められている設定になっている。
ツバメも王子のところに来る前にいろいろと寄り道をしてくるのだけど、
ちょっと他のツバメとは違う個性まで描かれている。
葦に恋してしまって、仲間から遅れるというツバメなのだけど
「人間は考える葦である」という一説のあの「葦」と同じ。
この「人間は考える葦である」の「葦」とは
自然界の中でも弱いものの例えらしい。
ということは、このツバメはもともと
弱いものへの思いやりをもっていたツバメだったってことなのかもしれない。
幸せの王子も「幸せの王子」だったのであって
大金持ちの裕福な王子というのではありません。
幸せで心が純粋だったからこそ
人の痛みにも寄り添う気持ちも持っていた
やさしさに満ちた王子だったのです。
何十年もたって、
ずっと「幸せの王子」の物語は心に残っていたけど、
あらためて読み返してみて、物語の深さを理解するとともに
心のあり方を学ぶことができました。
人の幸せを願う心
人の悲しみを知る心
人の喜びに共感する心
自分の欲を手放す心
そうした愛に満ちあふれた心は自然と感動を呼び
そこに感じられる心地よい調和のある周波数が
子どもの時からいつまでたっても忘れることなく大好きな理由なのかもしれません。
最後に描かれた、王子とツバメが天使によって天国に召されている様子は
「フランダースの犬」の最後を見ているかのようでした。
光に包まれながら天使が天上へと連れていく様子が目に浮かぶのでした。