答えは、「自由になること」だった。

投稿者: | 2018年4月13日

最近、マズローの欲求5段階説に関心をもって、調べていた。
マズローのこの心理学的な法則は、以前から知ってはいたものの
あらためて勉強しているうちに自分のことで気づいたことがある。

特に調べていたのは、承認欲求について。

承認欲求はなかなか面倒くさい。
やはりマズローの段階では4段階目だから
それをクリアするのはそう簡単ではないということ。

承認欲求の段階ではいろんな罠があるので
それに気が付かないと、なかなかそこから脱却できない。

他人から認められようとすることは、他人に依存し統制されることである。
承認欲求はここが問題なのだと思う。

マズローの理論に従えば、それぞれの段階の欲求を満たすと
上の段階の欲求を感じるようになるということになるのだが、
満たす必要がないものもあるように思う。
だから満たすというより、その欲求の段階をクリアするということだろうと思う。

承認欲求の一段階下は帰属欲求だ。
僕の場合、帰属欲求はあまり強くない。
いや、というより、帰属したくない。帰属するのは自分を不安定にする。
そして、帰属欲求と承認欲求がつながるととても面倒くさいことになる。
(帰属欲求にはブロックがあるかもしれない。それはまた別で書くことにする)

会社などに属して、多くの人に混ざって仕事をし、
経営者、管理職などの指示を受け、評価されるというあたりまえのシステムの中にいると
帰属欲求と承認欲求はより刺激され、満たされたり、満たされなかったりの繰り返しで
神経はすり減っていくように思う。

組織の中での承認欲求との戦いは疲れる。

日記をつけていたら、
「自由でいたい」と言う言葉が自然に出てきた。

他人の判断、評価に従わなければならないのは不自由だ。
いくら自分がこうしたいと思っていても、
自分の思うようにならないことばかり。

もちろん、自分の考えたことが、人に認められたときはうれしい。
それが承認欲求を満たすということなのだと思うが、
ただ必ずしも人に認められることがすべてではないと思う。
だから承認欲求は誰しもあるものといって、それを満たそうとばかりいるのはどうかと思う。

人の承認は残酷だ。
誰かがそれいいねと言ってくれたとしても、誰かはそんなの認めないという。
社会とか世の中なんてそういうものだ。
そういうことに振り回され、しまいには疲れて、時に打ちひしがれて、落ち込むことになる。

僕は誰の判断にもよらず、誰の価値観にも縛られず、
自分の選択で行動して、歓びが得られることのほうが
何倍もうれしいと思う。
その歓びは誰のものでもない自分だけのもの。この上ない満足に浸れる。
誰かと比較したり、標準や平均を知る必要はない。
自分が満足できればそれが一番だ。

この感覚をしばらく忘れていたように思う。
承認欲求に縛られていたのだと思う。

19年前の今頃、「自由になる」と心に誓ったのだった。
そして、この言葉を心の中で繰り返していると
なぜか涙が出て、はればれし、不思議な歓びに胸が満たされたのだった。
長いトンネルを抜けて、明るいところに出たときの感覚だった。

会社員だったとき、おしゃれのつもりで付けていたネクタイピンを
その日から外したのだった。
風になびくネクタイを見て、

「僕はフリーだ」

と思ったのだった。

日記に「自由でいたい」と自然に書いた一行は、
今あらためて、心に浸透し始めた。

僕は今日から、再度フリーになって進みはじめる。